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横浜地方裁判所 昭和51年(ワ)571号 判決 1986年7月14日

原告

青木ミエ子

青木至

右両名訴訟代理人弁護士

岡本秀雄

小林章一

平岩敬一

関一郎

右両名訴訟復代理人弁護士

石戸谷豊

被告

財団法人厚生団

右代表者理事

太宰博邦

被告

清水昊幸

右両名訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告青木ミエ子に対し四二六四万九七六〇円、同青木至に対し五〇〇万円、及び右各金員に対する昭和五一年一一月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の身分関係

(一) 原告青木ミエ子(以下「原告ミエ子」という。)は、昭和一八年二月一七日生れの女子であり、原告青木至(以下「原告至」という。)は、原告ミエ子の夫である。原告両名は、昭和四〇年七月二三日に婚姻し、その間には長女由美(昭和四一年四月二日生れ)がある。

(二) 被告財団法人厚生団(以下「被告厚生団」という。)は、東京厚生年金病院を設置経営する者である。被告清水昊幸(以下「被告清水」という。)は、被告厚生団に雇用され、右病院に眼科部長医師として勤務し、眼科診療の業務に従事していた者である。

2  被告清水の責任原因

(一) 被告清水による原告ミエ子の診療とその経過

(1) 原告ミエ子は、昭和四七年二月ころより右眼がかすむようになり、近医の診察治療を受けたが症状が好転せず、原因も判明しないため、同年三月四日東京厚生年金病院眼科で受診したところ、右眼に網膜剥離を起こしている旨告げられ、同月六日同病院に入院した。

原告ミエ子は、入院後被告清水の診察治療を受けたが、入院中の同年四月八日左眼にも網膜剥離の症状が現れ、やはり被告清水の診察治療を受けた。原告ミエ子は、同年一〇月一四日に退院したが、その間に次の手術等を受け、退院後も同年一一月一五日まで通院した。

(右眼につき)

同年三月 九日 バックリング手術

同  月一三日 光凝固

同  月二四日 右 同

同  月三〇日 バックリング手術

(左眼につき)

同年六月二九日 水抜き手術

同年七月二〇日 右 同

同年八月一〇日 右 同

(2) しかし、原告ミエ子は、発症当初裸眼視力が右眼〇・一五、左眼一・五であつたところ、入院中右眼を失明するに至り、また、左眼も失明に近い状態となり、かつ、後天性色盲となつた。原告ミエ子の昭和四七年一一月一五日時点における裸眼視力は右眼〇、左眼〇・一五であり、昭和五五年五月一七日時点における裸眼視力は右眼〇、左眼〇・〇三である。

(二) 原告ミエ子の疾患の特徴と当時の医療水準

(1) 原告ミエ子の両眼は、いずれも高度の網膜剥離を呈したが、網膜に裂孔がなく、また、前房・硝子体に混濁等の炎症症状がなかつた。そして、眼底所見では、網膜下液が移動しやすく、体位の変換による剥離の形状の変化が見られ、また、蛍光眼底造影では、後極部を中心に脈絡膜から網膜下へ蛍光色素の著しい漏出が見られた。

(2) 原告ミエ子の疾患は、高度の網膜剥離を引き起こす疾患のうち、外傷・強度の近視等を原因とする特発性網膜剥離とは網膜に裂孔が認められない点で、また、ブドウ膜炎による続発性網膜剥離とは前房・硝子体に混濁等の炎症症状が認められない点で異なる、原因不明の新しい続発性網膜剥離である。

本疾患は、後に塚原勇らによつて「多発性後極部網膜色素上皮症」と命名されたものであり、臨床所見上、①二〇歳代から五〇歳代にかけて特に中年の男子に好発する、②症状の発現時期に差異があるが、ほとんど両眼性である、③患者の大多数に数年から十数年にわたり中心性網膜炎の既往歴がある、④前房・硝子体に炎症所見は認められないが、眼底の後極部付近に数か所原発巣と思われる灰白色斑が現れ(この灰白色斑は、約二分の一乳頭径大前後のものが多く、当初均一な軟かい混濁からやがて中心が透明な輪状の混濁となる。そして、周辺に向かつて放射線状に走る微細な網膜襞が見られることがあり、水胞状の網膜色素上皮剥離が存在することもある。)、蛍光眼底造影では、この部分に脈絡膜から網膜下への蛍光色素の著しい漏出が見られる、⑤網膜剥離の程度には、扁平な剥離が黄斑部を越えて周辺に広がる軽度のものから高度の胞状剥離、更には全剥離という重度のものまで存するが、網膜に裂孔はなく、ある程度以上の高度剥離になると、網膜下液が移動しやすく、頭の位置の変化により剥離の形状が変化する、という特徴を有する。

そして、治療法としては、副腎皮質ホルモンをはじめ薬物療法はほとんど効果を示さず、手術療法もおおむね無効であるが、蛍光漏出部位に対する光凝固が優れた効果を示し、光凝固が可能でない症例でも自然治癒の経過をたどるが、視力回復の程度は、症状の軽重による差が大きい。

更に、塚原勇らによれば、この「多発性後極部網膜色素上皮症」とスケペンスの「ユーベアルエフージョン」とは、網膜裂孔が認められず、眼内炎症症状を欠く点など共通の特徴を多く有するが、①初発部位が前者では後極部付近であるのに対し、後者では赤道部付近である、②脈絡膜剥離が前者ではほとんど認められないのに対し、後者ではこれが存在する、③脳脊髄液圧の上昇、脳脊髄液内蛋白含有量の増加が前者では認められないのに対し、後者ではこれが認められる、という点で差異があり、両者は異なる疾患である可能性が大きいが、後者には前者が含まれている可能性もあるとされている。

(3) ところで、アメリカのスケペンスは、昭和三八年(一九六三年)に「アーカイヴスオブオフタルモロジー」という非常にポピュラーな医学雑誌に前述の「ユーベアルエフージョン」なる疾患を公表しており、国内でも浦山晃が昭和四六年三月に本疾患ないしその類縁疾患を原田病類似の亜型ブドウ膜炎として発表し、昭和四七年三月二日には、塚原勇が参天眼科ゼミナールの日本短波放送で本疾患につき増田型中心性網脈絡膜炎の過剰な特殊な型ではないかとして報告し(これに先立ち第三七回大阪眼科集談会でも報告している。)、更に、同年二月に東京で行われた国際蛍光眼底造影シンポジウムでガスが塚原勇と同様の見解を発表しているのである。

したがつて、これらの報告発表からみて、昭和四七年三月当時、わが国の眼科学会においては、本疾患ないしその類縁疾患について、これを「ユーベアルエフージョン」ないし「多発性後極部網膜色素上皮症」という概念で把握すべきものと考えていたか否かは別として、網膜裂孔がなく、眼内炎症症状を欠く、新しい病型の網膜剥離疾患としての認識を有していたものであり、そして、その治療法についても、塚原勇が中心性網膜炎に対する光凝固法の有効性を指摘しており、これとの関連で光凝固法による治療が考えられたものである。

(三) 被告清水の過失

(1) 被告清水は、最先端の水準にある医療機関の医師として、先に述べた当時の医療水準に照らし、原告ミエ子の疾患が網膜裂孔のない、かつ、眼内炎症症状を欠く新しい病型の網膜剥離疾患であることの発見識別に努め、たとえその原因等を確定しえなくとも、本疾患と既存疾患との関連等から考えられる可能な限りの有効かつ適切な治療を行うべき注意義務があつた。

しかるに、被告清水は、この点に関する調査研究を怠り、スケペンス、浦山晃、塚原勇、ガスによつて既に発見報告されていた右の新しい網膜剥離疾患の存在に全く気付かなかつたうえ、原告ミエ子には特発性網膜剥離の原因となる高度近視とか眼球打撲・頭部強打ということはなく、それまで二回中心性網膜炎を患つた既往歴があり、しかも、前述のとおり、両眼とも網膜裂孔がなく、眼内炎症症状もないことに加え、眼底所見で網膜下液が移動しやすく、体位の変化によつて剥離の形状が変化し、更に、蛍光眼底造影で後極部を中心に脈絡膜から網膜下へ蛍光色素が激しく漏出するという特徴を有していたのであるから、これらの点からみて、特発性網膜剥離、ブドウ膜炎による続発性網膜剥離のいずれでもないことが明らかであつたのに、原告ミエ子の右眼が前房・硝子体の混濁等の眼内炎症症状を伴わない高度の網膜剥離を呈していたことから、裂孔原性網膜剥離であると誤つた診断を行い、このため、前記のとおり、右眼に対しては侵襲の大きいバックリング手術を二回にわたつて行い(バックリング手術は、シリコンを埋設して行うものであるだけに、他に方法がないときにだけ行うべきものである。)、次に、やはり網膜裂孔を発見しえなかつたため、ブドウ膜炎による続発性網膜剥離であると再び誤つた診断を行い、このため、効果のないステロイド療法を行い(昭和四七年五月二七日から同年六月一八日まで)、更に、左眼に対しては、水抜き手術を三回にわたつて行い、前記のとおり右眼のバックリング手術部位に対する光凝固を行つただけで、本疾患の治療上有効な蛍光漏出部位に対する光凝固を行わないまま、原告ミエ子をして右眼失明・左眼準失明に至らせたのである。

(2) しかし、被告清水において網膜裂孔のない、眼内炎症症状を欠く新しい病型の網膜剥離疾患の存在に気付いていたならば、たとえ本疾患の原因等を確定しえなくとも、本疾患と中心性網膜炎との関連等から考えられる蛍光漏出部位に対する光凝固を行うことにより、原告ミエ子をして右眼失明・左眼準失明に至るのを免れさせることができたものであり、そうでないとしても、光凝固を行つた場合に比べれば治癒の程度は良くないが、侵襲の大きいバックリング手術等を避け、経過を観察することにより、自然治癒に導くことができたものである。

(3) したがつて、被告清水は、原告ミエ子の診療につき上記注意義務を怠つた過失があり、民法第七〇九条による不法行為責任を負わなければならない。

3  被告厚生団の責任原因

被告厚生団は、同清水の使用者であるから、同清水の本件診療業務上の過失につき、民法第七一五条による不法行為責任を負うものである。

4  原告ミエ子の損害 四二六四万九七六〇円

(一) 逸失利益 二二六四万九七六〇円

(二) 慰謝料 二〇〇〇万円

5  原告至の損害 五〇〇万円

<以下、省略>

理由

一請求原因第1項の事実は、当事者間に争いがない。

二本件診療の経過

1  請求原因第2項(一)の(1)のうち原告ミエ子が東京厚生年金病院で受診する以前の事実及び左眼に網膜剥離症状が現れた日を除くその余の事実、同(2)のうち原告ミエ子の昭和五五年五月一七日時点の裸眼視力を除くその余の事実は、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ(る)。

(一)  原告ミエ子は、昭和四七年二月一〇日ころから右眼がかすみ異常を覚えたので、近医の診察治療を受けたが好転せず、同年三月四日、近医の紹介で被告厚生団の経営する東京厚生年金病院で受診したところ、右眼に網膜剥離を起こしている旨診断され、同月六日同病院に入院した。

初診時における原告ミエ子の診断の結果は、裸眼視力右眼〇・三、左眼一・二(発症当初は、右眼〇・一五、左眼一・五)、角膜等前眼部は両眼とも透明で左眼眼底は正常であつたが、右眼網膜の下方に著明な剥離が認められた。また、原告ミエ子は、既往症として昭和四三年と昭和四五年に右眼に中心性網膜炎を患つたことがあり、問診に対し、耳鳴りはなく、眼球や頭部を強打したこともない旨を告げた。

(二)  右病院の眼科部長医師であつた被告清水は、原告ミエ子の入院後、主治医としてその診察治療に当たつたが、被告清水の診断によれば、原告ミエ子の全身所見や左眼眼底には特に異常はなく、両眼とも角膜、前房、虹彩、水晶体、硝子体に蛋白含有量の増加や白血球の湧出などによつて起こる炎症症状としての混濁は一切認められなかつた。しかし、右眼には、後極部中心から下方に向かつて非常に著明な網膜剥離が見られ、初診時より更に剥離が広がつており、その他乳頭やや発赤、境界鮮明、黄斑部網膜に中心窩に向かう放射状の皺壁が認められ、一見して網膜裂孔は見あたらなかつた。

(三)  ところで、当時の医学上の知見によれば、網膜が清澄で複雑な変化がなく、高度の網膜剥離を引き起こす疾患は、ほぼ特発性網膜剥離(裂孔原性網膜剥離)とブドウ膜炎による続発性網膜剥離の一疾患としての原田病しか知られていなかつた。

そこで、被告清水は、一応原田病か否か判別するため蛍光眼底造影(青い光を当てると緑光を発するフルオレスセインソジウムを静脈注射し、眼底の病巣における蛍光像を見る方法)を行つたところ、原田病は眼底全体に無数の細かい蛍光色素の漏出が見られるのに対し、原告ミエ子の本疾患は、後極部に網膜色素上皮剥離の所見が三か所認められ、後極部の乳頭上方四か所に脈絡膜から網膜下に散在性の蛍光色素の漏出が認められたのみで、原田病に見られるような右の特徴が認められず、かつ、原田病はほとんど両眼性であり、炎症所見がないが、裂孔原性網膜剥離はその一割弱位の割合で裂孔が高度剥離した網膜の陰に隠れるなどして見つからないことがあることから、原告ミエ子の疾患につき、一応裂孔原性網膜剥離と診断した。

右疾患は、網膜に裂孔が生じて剥離するもので、裂孔を光凝固などで閉塞するのがその治療法であり、そのため、まず裂孔を発見することに努めなければならないのであるが、剥離の程度が強いときは、網膜下液を排出し網膜を復位させる処置を施すことによつて裂孔が発見されることが多いため、被告清水は、原告ミエ子に対し、その入院三日後の昭和四七年三月九日、強膜を穿孔して排液し、スケペンス式バックリング手術(合成樹脂の一種で生体反応の少ないシリコン(本件では厚さ二ミリメートル位、幅三ミリメートル位、長さ五ミリメートル位)を眼球内強膜の中に埋め込む手術で、網膜の後ろに回つた水を抜くと眼球が軟弱化し出血などの合併症を起こすおそれがあるのでこれを防ぎ、抜いた水の分だけ眼球の容積を縮小し、かつ、脈絡膜と網膜を接着させるために行う手術をいう。)を実施した。右手術は、従前はポリエチレンチューブを使用したり、シリコンを埋め込んだ所をジアテルミー穿刺凝固(短い針を強膜を通して刺入し、高周波電流を流して眼底を焼灼する方法)で広く焼灼していたことから侵襲が大きいものと考えられていたが、その後、生体反応のほとんどないシリコンチューブを使用したり、光凝固で裂孔の周辺だけに限つて焼灼する方法が採られるようになつたことから、侵襲は少なくなり、副作用もなく安全であるので、剥離が強い場合にはむしろ積極的に行うべき手術とされていたのである。

(四)  原告ミエ子は、右手術を受けた直後、網膜は復位するに至つたが、裂孔についてはなおも発見されなかつた。しかし、被告清水は、裂孔が非常に小さい場合や眼底周辺部にあるような場合にはその発見が極めて困難であるので、なお裂孔が存するものと考えていたが、昭和四七年三月一一日、剥離が乳頭近くまで再燃し、同月一三日、シリコンを埋め込んだ所のうち裂孔があると思われた部分に網膜と脈絡膜を接着させるためにキセノンランプを使用して光凝固を行つたものの、翌一四日には右眼網膜はほぼ全剥離となつた。

被告清水は、裂孔が別の箇所にあり、再手術が必要と考え、同月二四日、再手術に先立つて前に手術した箇所の残部分に光凝固を行つたが、網膜が全剥離していたため、光凝固による瘢痕が見られないほどであつた。そこで、被告清水は、同月三〇日、再びスケペンス式バックリング手術、網膜が高度に縮んでいく硝子体に牽引されるのを緩和するため眼球を輪状に締結する手術及び硝子体置換術(硝子体を少し除去して、類似の物質を注入する手術)を行い、同時に剥離した網膜を広げるため硝子体内に人工房水を注入し、網膜下液を排出し網膜を復位させたが、それでもなお裂孔が発見できず、その後再び網膜は、全剥離となり、その状態が継続した。

(五)  昭和四七年四月五日、原告ミエ子の左眼にも黄斑部より網膜剥離が出現し、後極部に中心窩に向かう放射状の皺壁が認められた。剥離が網膜の中心部から起こり、裂孔が全く見あたらず、しかも、裂孔原性網膜剥離で両眼に相次いで剥離が起こるのは極めて珍しいことから、被告清水は、原告ミエ子の疾患につき、一応ブドウ膜炎による続発性網膜剥離(原田病)の可能性も検討したが、その場合眼内に炎症所見が認められるはずであるのに前眼部は清澄で炎症症状は全く見あたらず、同月八日には、左眼眼底において、黄斑部から乳頭周辺にかけて盛り上がり、前房・硝子体は清澄、乳頭の色調は正常、境界鮮明で、網膜の中心部に限局して剥離が見られ、同月一四日ころから黄斑部下方に向かつて剥離が広がり、一方、血液検査や尿検査、全身所見には何ら異常はなく、対炎症療法であるステロイドホルモン剤投与も無効で、左眼視力は、同月二一日〇・三、同年五月二日〇・二、同月四日〇・一、同月九日〇・〇一、同月一一日には三〇センチメートル指数弁(指の数が判別できる程度)、同月一二日には眼前手動弁(自分の手の影が写る程度)と最悪の状態となり、網膜の剥離も増強するばかりであつた。

被告清水は、一時眼底に小さな出血斑が見られたことから、血管系の異常を疑つたが、出血は増えずに吸収されてしまうので、血管系の異常とも認められなかつた。なお、網膜下液は頭位の変換によつて移動しやすく、そのため剥離が黄斑部に及ばないように座位の姿勢を採らせなければならず、蛍光眼底造影を行うと、後極部数か所と乳頭下方三か所に脈絡膜から網膜色素上皮を通つて網膜下腔へ著しい蛍光色素の漏出が見られ、しかも、その漏出は通常の中心性網膜炎などと比べてすこぶる大規模で、裂孔原性網膜剥離に通常見られるような硝子体から液が網膜下へ浸淫する状態とも異なつていた。

(六)  右のような状態のまま原告ミエ子の症状は一向に好転せず、しかも、高度の網膜剥離を呈しながら裂孔も炎症所見もないことから病名の診断が付かず、剥離がますますひどくなつていくばかりであつたので、被告清水は、昭和四七年五月二六日、同被告の恩師で眼科の権威者であつた鹿野信一北里大学客員教授(前東京大学教授)に対診を求めたところ、やはり既存の概念では不明の疾患ということであつたが、過去に二例ほど似た症例に遭遇したことがあり、一例は失明に至つたものの他の一例は水抜きをして効果があつたということで、再度ステロイド療法を行つてから水抜き手術をすることを勧められた。そこで、被告清水は、翌二七日からステロイド療法を行つたが全く効果がなく、また、同年六月一日にはトキソプラズマ検査の結果が陽性と出てブドウ膜炎の可能性もあるため、抗トキソ剤であるアセチルスピラマイシンを投与したが、そもそも右検査自体その信用性に問題があるほか、再検査の結果は陰性と出るなどし、右治療方法も実効性がないと判断した。

被告清水は、ステロイド療法等が全く無効であつたことから、同月二九日、強膜に穿孔して左眼の水抜き手術を行い、網膜下液を排出した。そうしたところ、左眼の網膜下液及び剥離が著明に減少し、なお黄斑部に放射状の皺壁が形成されていたものの、後極部上方の網膜がほぼ復位するなど著しい効果が上がり、裸眼視力が〇・一から〇・一五にまで回復した。しかし、黄斑部より下方が依然剥離していたため、翌七月二〇日に再び水抜き手術を行つたが、剥離は少し減少した程度であつたため、翌八月一〇日、三たび水抜き手術を行つた。その結果、左眼の網膜剥離はほとんど消失し、視力も〇・一前後で安定した。なお、左眼の眼底は、剥離消失後も原田病のように夕焼け状にならず、その他全過程を通じ網脈絡膜に何ら異常所見は認められず、また、原田病と異なり、皮膚・毛髪等に色素異常は全くなく、聴覚障害もなかつた。

(七)  原告ミエ子は、昭和四七年一〇月一四日に退院し、同年一一月一五日まで通院したが、右眼は全剥離のままで視力〇、左眼は視力〇・一五(昭和五五年五月一七日時点では、裸眼視力右眼〇、左眼〇・〇三)、また後天性色盲となつた。なお、被告清水は、原告ミエ子の疾患につき、治療中の昭和四七年四月ころからわが国では知られていない非裂孔性・非炎症性の新しい病型の網膜剥離ではないかと疑い、多忙な仕事の間を縫つて文献の調査にあたつていたが、最終段階では蛍光色素の漏出部位に光凝固を行つてみてはどうかと考え、その実施を勧めたが、原告ミエ子が拒絶したため、その実施ができなかつた。

三原告ミエ子の本疾患について

1  請求原因第2項(二)の(1)の事実、同(2)のうち、原告ミエ子の疾患が特発性網膜剥離、ブドウ膜炎による続発性網膜剥離のいずれとも異なる原因不明の新しい続発性網膜剥離であること、塚原勇らが本疾患につき原告ら主張の特徴を有する「多発性後極部網膜色素上皮症」と命名し、スケペンスの「ユーベアルエフージョン」との間には原告ら主張の相違点があると主張していること、及び治療法として蛍光漏出部位に対する光凝固が効果的であるとされていることは、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告ミエ子の両眼は、いずれも高度で長期間持続する網膜剥離を呈したが、網膜に裂孔がなく、また、前房・硝子体等に混濁の炎症症状がなかつた。そして、眼底所見では、網膜下液が移動しやすく、体位の変換による剥離の形状の変化が見られ、また、蛍光眼底造影では、後極部を中心に数か所の滲出斑が現れ、そこに脈絡膜から網膜下へ蛍光色素の著しい漏出が見られた。なお、全身所見や検査結果では何ら異常は見受けられなかつた。

(二)  従来、網膜剥離を引き起こす疾患としては、眼球打撲や頭部強打などの外傷・強度の近視等を原因とする特発性網膜剥離(裂孔原性網膜剥離)と眼内炎症状を特徴とするブドウ膜炎による続発性網膜剥離、その他中心限局型の増田型中心性網脈絡膜炎(症)などが知られ、その中で全身的所見に糖尿病や腫瘍といつた異常が特になく高度の網膜剥離を伴うものとしては、ほぼ裂孔原性網膜剥離とブドウ膜炎による続発性網膜剥離の一疾患としての原田病に限られ、網膜剥離を伴う周辺性ブドウ膜炎も注目されていたが、最近になつて、裂孔や炎症症状を欠く高度の網膜剥離疾患の存在が知られ、いまだ原因不明の新しい続発性網膜剥離として認識されるようになつた。

(三)  本疾患については、眼科学会において、二つの代表的な学説が存在する。すなわち、

一つは、アメリカのスケペンスらが昭和三八年(一九六三年)に一七例三〇眼の症例をまとめて発表し、「ユーベアルエフージョン」と名付けたものであり、その特徴としては、①多く両眼性で、視神経にしばしば腫脹が見られ、著明な網膜剥離を呈する、②網膜裂孔を認めない、③前房・硝子体に炎症所見が全くないか、あつてもごく軽度である、④網膜下液が体位の変換によつて移動し易い、⑤網膜絡膜にも炎症所見はないが、ときに多発性小病巣を認める、⑥毛髪・皮膚に色素異常はなく、聴覚障害もない、⑦全身所見及び検査結果に異常がない、⑧脳脊髄液圧がやや上昇し、蛋白含量の増加があるが、細胞の増多はない、⑨ときに周辺部に輪状の脈絡膜剥離を伴うことがある、⑩男子に好発する、ことが挙げられているものである。

他は、塚原勇らは、男性一五例、女性三例計一八例三五眼の症例をまとめて昭和五二年に発表し、「多発(巣)性後極部網膜色素上皮症」と命名したものであり、その特徴としては、①二〇歳代から五〇歳代にかけて特に中年の男子に好発する、②症状の発現時期に差異があるが、ほとんど両眼性である、③患者の大多数に数年から十数年にわたり中心性網膜炎の既往歴がある、④前房・硝子体に炎症所見は認められないが、眼底の後極部付近に数か所原発巣と思われる灰白色斑が現れ(この灰白色斑は、約二分の一乳頭径大前後のものが多く、当初均一な軟かい混濁からやがて中心が透明な輪状の混濁となる。そして、周辺に向かつて放射線状に走る微細な網膜襞が見られることがあり、水胞状の網膜色素上皮剥離が存在することもある。)、蛍光眼底造影では、この部分に脈絡膜から網膜下への蛍光色素の著しい漏出が見られるが、脈絡膜蛍光の充盈異常は認められない、⑤網膜剥離の程度には、扁平な剥離が黄斑部を越えて周辺に広がる軽度のものから高度の胞状剥離、更には、全剥離という重度のものまで存するが、網膜に裂孔はなく、ある程度以上の高度剥離になると、網膜下液が移動し易く、頭の位置の変化により剥離の形状が変化する。その他全身的には特に異常所見を認めない。⑥そして、治療法としては、副腎皮質ホルモンをはじめ薬物療法はほとんど効果を示さず、手術療法もしばしば水抜き手術がよく反応するもののおおむね無効であるが、蛍光漏出部位に対する光凝固が優れた効果を示す。もつとも、光凝固によつても最終視力〇・一以下の予後不良の症例が多数存し、必ずしも全ての症例が光凝固によつて軽快するわけではなく、また、光凝固が可能でない症例でも自然治癒の経過をたどるが、視力回復の程度は症状の軽重による差が大きく、重症例の視力予後は悪い。

更に、塚原勇らによれば、右「多発性後極部網膜色素上皮症」と「ユーベアルエフージョン」とは、網膜裂孔が認められず、眼内炎症症状を欠く点など共通の特徴を多く有するが、次の諸点において差異があるとされる。すなわち、①初発部位が前者では後極部、網膜色素上皮付近であるのに対し、後者では下方の赤道部付近を重視している、②脈絡膜剥離が前者ではほとんど認められないのに対し、後者ではこれが存在する、③脳脊髄液圧の上昇、脳脊髄液内蛋白含有量の増加が前者では認められないのに対し、後者ではこれが認められるのである。

しかし、右の主張については、スケペンスらは、蛍光眼底造影を行つておらず、後極部付近の所見もほとんど判明せず、これらの所見に重きを置く塚原らの見解との対比が困難であるうえ、スケペンスらは網膜剥離の程度が比較的重症な症例を多くまとめて報告したのに対し、塚原らの報告は広く軽症例も含めたものであること、スケペンスらの症例中には重要な特徴とされる脳脊髄液の所見が陽性と思われない症例も含まれていることなどからすると、右両者は異なる疾患である可能性もあるが、後者には前者が含まれている可能性もあり、同じ範ちゆうに属するものであるか否かについて、現在でも眼科学会において意見の一致を見ていない。そればかりか、本件のような疾患については、両者の他に様々な病名が提唱されており(網膜剥離を伴つた中心性脈絡網膜炎、周辺性網膜剥離を呈する特異な網脈絡膜病変、異型中心性脈絡網膜症、ブルスレティナルデイタッチメントなど)、いまだその病因が解明されていないのが現状である。

(四)  原告ミエ子に係る本疾患は、「ユーベアルエフージョン」の前記一〇の特徴のうち⑧ないし⑩を除いて他の特徴を満たしており、右⑧の特徴については、本件では検査していないので確認できず、右⑨の特徴については、本件では脈絡膜剥離は見られなかつたが、スケペンスらの症例においても三〇パーセントにこれが見られたにすぎず、右⑩の特徴についても、スケペンスらの症例中一例女性であつた。本疾患の初発部位は後極部付近であるが、スケペンスらはその特徴として挙げた項目の中には初発部位について触れておらず、その症例中には初発部位が後極部付近のものが三〇眼中四眼含まれている。他方、本疾患は、「多発性後極部網膜色素上皮症」の前記臨床所見上の特徴(光凝固による治療の点を除く。)をほぼ満たしている。

以上の事実を考え合わせると、原告ミエ子に係る本疾患は、「ユーベアルエフージョン」とも「多発性後極部網膜色素上皮症」とも考えられ、両者が同一疾患を意味する可能性もあることにかんがみれば、「ユーベアルエフージョン」若しくは「多発性後極部網膜色素上皮症」、又はそれらの類縁疾患であるというべきである。

四被告清水の過失の存否

1  請求原因第2項(二)の(3)のうち本疾患ないしその類縁疾患に関し原告ら主張の発表報告がなされていることは、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  前記のとおり、非裂孔性・非炎症性の網膜剥離疾患の存在は最近になつて認識されるに至つたものであるところ、スケペンスらは、前記の報告を昭和三八年に「アーカイヴスオブオフタルモロジー」というポピュラーな医学雑誌に紹介したが、その治療については、種々の薬物療法が一切奏功しないこと、排液等の手術療法も効果がないこと、自然経過に委ねると特に重症例では網膜が復位しなかつたものを含めて予後が極めて悪いことを述べるだけで、特に効果的な現療法を示していない。国内では、東北大学の浦山晃らが、昭和四六年三月に二例の本疾患の類似疾患について原田病類似の亜型ブドウ膜炎として発表したが、これはブドウ膜炎群の一症例として発表したために当時においてもあまり注目されず、しかも、薬物療法等が奏功しないこと、自然経過に委ねたものの視力予後は必ずしも良好でないことを述べるほか、特に効果的な治療法を示していない。また、塚原勇は、昭和四七年三月二日、参天眼科ゼミナールの日本短波放送で同じく類似疾患につき増田型中心性網脈絡膜炎の過剰な特殊な型ではないかとして報告し(これに先立ち、第三七回大阪眼科集談会でも同旨の報告をしている。)、更に、同年二月に東京で行われた国際蛍光眼底造影シンポジウムでアメリカのガスが塚原勇と同様の見解を発表しているが、いずれも特に治療法を示しておらず、右報告は眼科専門雑誌に発表されたものでもなく、これらの研究者の間には、その扱つた症例が同一ないしは類縁疾患であるとの確固たる認識も見受けられない。

(二)  その後、昭和四八年に、大阪大学の三村康男ら、関西医科大学の塚原勇ら、久留米大学の吉岡久春、ガス、昭和四九年に、塚原勇、原告ミエ子に係る本疾患などを報告した被告清水ら、昭和五〇年に三重大学の福喜多光一ら、昭和五二年に塚原勇、関西医科大学の宇山昌延らの報告が相次ぎ、昭和四八年以降三〇例位の報告が現れたことにより、ようやくこの時期に至つて、わが国の眼科学会でも、本疾患ないしその類縁疾患の存在が認識され、なかんずく各研究者の症例の異同が論議されるに至つた。なお、現在においても、高度の網膜剥離を呈する疾患は、九九パーセント以上は裂孔原性網膜剥離と原田病であり、本疾患のような症例は極めて珍しい。

(三)  本疾患ないしその類縁疾患の治療法として光凝固が有効であることは、昭和四八年にガス、昭和四九年に、塚原勇、被告清水ら、昭和五二年に宇山昌延らが報告して明らかになつたものであり、本件診療当時は本疾患の治療法についてまだ知られていなかつた。もつとも、中心性網膜炎の治療については、既に蛍光漏出部位に対する光凝固が有効であることは知られていたが、本疾患は、蛍光眼底所見における蛍光色素の漏出が中心性網膜炎と類似しているとはいえ、中心性網膜炎と異なり、網膜に明瞭な滲出斑が多発し、網膜下液の量が大きく、網膜剥離が極めて高度であり、両眼性であることなどの点で病像が著しく異なつており、全く別異の疾患であるとも考えられている。

3 以上の事実を考え合わせれば、本件診療当時、本疾患ないしその類縁疾患については、少数の症例報告・発表があつたとはいえ、いまだ非裂孔性・非炎症性の高度網膜剥離疾患の存在が、眼科学会や眼科医の間で認識されるに至つたものということはできず、当時は数人の研究者が右の新しい病型の疾患について調査研究を重ねていた時期であるというべきである。しかも、その治療法についても、光凝固が有効であることが指摘、報告されたのは昭和四八年以降のことであるし、中心性網膜炎の治療に光凝固が有効であることは既に確知されていたとはいえ、本疾患と中心性網膜炎の病像は著しく異なり、別異の疾患とも考えられるから、本疾患について中心性網膜炎と関連させて蛍光漏出部位に対する光凝固を行うべきであつたとはいうことはできない。

また、前認定のとおり、被告清水は、原告ミエ子の疾患につき、当初、右眼に高度の網膜剥離を呈し、網膜裂孔も炎症所見も認められなかつたが、裂孔の発見が困難な裂孔原性網膜剥離も存することから一応その旨診断したものであるところ、これは当時の医学上の知見にかんがみれば、止むを得ない診断であつたと認められる。そして、被告清水は、網膜剥離の程度が強かつたので、裂孔を発見し網膜と脈絡膜を接着させるためにスケペンス式バックリング手術等を行つたが、右手術は侵襲の少ない安全な手術であつて、特に、剥離が強度の場合は積極的に行うべきものとされており、右手術を施行したことに何ら咎むべき点はない。原告ミエ子の疾患は、その後左眼にも同様の症状が現れ、網膜裂孔がなく、炎症症状が見あたらないことなど臨床所見が著しく異なつていたとはいえ、当時の医学上の知見によれば、高度の網膜剥離を惹起する主要疾患としては、裂孔原性のもの及び続発性のものが知られているに過ぎなかつたのであるから、被告清水が本疾患について、ブドウ膜炎による続発性網膜剥離(原田病)の可能性を検討したのも、もつともなことであるといわざるをえない。そして、被告清水は、消炎療法としてステロイド療法を行つたものの効果がなかつたが、左眼につき、本疾患に対ししばしばよく反応し効果のあるとされる水抜き手術を行つたところ、網膜剥離が消失するなど顕著な効果があつたものである。

また、前記のとおり、本疾患ないしその類縁疾患についての当時の医療水準とその内容を考えると、原告ミエ子につき、蛍光漏出部位に対する光凝固を行い、又は自然経過に委ねれば失明・準失明に至らなかつたものであるとの原告らの主張についても、光凝固が必ずしも奏功するとは限らないし、ましてや自然経過に委ねれば特に重症例において予後不良のものが多いことを考えれば、これを採用することはできない。

4  以上のとおりであり、被告清水の本件診察治療は相当であり、その医療行為上につき過失はない。また、同被告の不法行為を前提とする被告厚生団の使用者責任もまた存しない。

五結論

よつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官浦野雄幸 裁判官吉田 徹 裁判官内藤正之)

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